皮膚と心

  去年の冬に書いた文が下書きに残っていたので、少し書き加えて載せておく。

 

 11月も半ばを過ぎて、夏の初めに買った化粧下地が切れてしまった。肌の乾燥が酷いのでベースメイクを見直そうと思いつつも、小心者なので、中々新しい物に手を出せない。いつも思考停止の末、同じメーカーのパウダーファンデーションと、セットの下地を使い続けている。

 ファンデの代わりにBBクリームを試す。悪くない。少し続けてみようと思う。

 

 私はアトピー持ちだ。子どもの頃は手のひらと関節に留まっていた皮膚のざらつきは、ここ2年ほどで徐々に体全体を侵し始めた。

 昨日までは白かった肌が、ふと気がつくと赤黒く染み、きめが乱れ、滑らかさを失う。侵食された皮膚は、二度と元には戻らない。このぞっとするおぞましさが、理不尽が、絶望が、お前にわかるか?

 

 いつも夢見ている場所がある。そこに裸足で踏み入れると、足の裏がひやりと冷たい。奥には透明な液に満たされた柩があって、その清く緑がかった水に触れると、柔らかな羊水のように私を受け入れる。静かに全身を沈めると、生々しく皮膚に馴染んでいく。不思議な液体に包まれて、深く、長く息をつくと、突然バチッとした痛みが電撃のように脳天から足先までを駆け抜けて、ハッと顔を歪める。おそるおそる目を開けると、傷だらけで醜かった私の体は、しなやかで美しく、夢のような身体に生まれ変わっている……。

 

 そんな夢遊から覚めた私は、じっと手を見る。「お前の手、おばあちゃんみたいだな。」小学生の頃、クラスメイトに言われた言葉が忘れられない。巌のように年を重ねた老婆の手は美しくても、私はたったの7歳だったのに。乾燥してひび割れた皺だらけの両手。関節は炎症し、指には薄い縦線が何本も刻まれている。無意識に掻きむしった爪の隙間に、赤黒く滲んだ垢がこびり付く。熱を持った痒みがどうしようもなくて、叫び出したくなる。

全身をざわざわと巡る不快な掻痒感をなだめるために、皮膚科でもらった軟膏を塗りたくる。大丈夫、これを塗れば、必ず効く、絶対に良くなる、プラセボでも何でもいい、藁にも縋る気持ちで、おまじないのように胸の内で唱える。

 子どものように泣き出したい。大人になった私には、もう誰も、やさしい指先で薬を塗ってくれたりなんかしない。

 

 心と乖離する自分の身体が憎たらしい。かといって、常に絶望しているというわけでもなく、冴えない顔なりにメイクを楽しんだり、特に露出を気にせず半袖やノースリーブを着たりもしている。

あまりに長くこの残酷な皮膚と付き合ってきたせいで、多少の肌荒れには鈍感になってしまった。それって痛くないの、などと聞かれると、ああそうか、これはふつうではないのだった、と気づかされてしまう。友人達と温泉旅行に行ったときは、少し辛かった。

 

 侵食は今も広がっている。ゆるやかに死に近づいていく。いつか肌の様態に年齢が追いつくまで、時折発作のように襲いくる絶望と付き合いながら、なんとかやっていくのだろう。夢に見た柩には、決して辿り着けない。