2019.04.30という日、その翌日

 昨日と同じく、7時に起きて二度寝、9時に起床する。スーツを着てどこか山奥の田舎の村へ、バスで実習の下見に行く夢を見た。霧めいた山の緑や土や空気の湿り気がやけにリアルだった。

 昨日は一日中小雨とぼんやり熱を持った湿気た曇り空が続いていたが、今日はいい天気だ。雨の予報は外れたらしい。

 母は仕事で、居間に父がいる。お は よ う、おはれいわ!などとふざけてみる。つまらない。

 味噌汁を飲みながら朝刊を眺める。元号が変わっている。何面にもわたって天皇陛下改元、時代を振り返り、未来の展望を語る記事が並んでいる。私の日常は変わらずとも、世の中は動いている。

 紅茶を飲む。学校に行くか迷う。うだうだしていたら、父に10時過ぎても寝巻きだからアウトだと言われる。聞いてない、そんな新ルール。今から出かけると移動中にライブ中継が始まってしまうので、家でネットを見ることにする。10:20に兄を叩き起こす。ベッドに並んでパソコンでYouTubeを立ち上げる。

 儀式とは、文化だなあと思う。知ることで、信じることで、重ねてきた歴史を背負うことで、初めて意味を持つ。あの舞台に立ち、台に器が置かれた瞬間、あの方の人生が変わる、抽象になる、と思うと、不思議である。

 二分された画面の半分にライブ映像、もう片方にTwitterのタイムラインが流れている。ライブ画面の下にはコメントが次々と表示されては消えていく。モブ、という感じがして良い。私も大衆のひとりである。いつかこの日が歴史の一場面として教科書に載る頃に、私はこのなんでもない瞬間を思い出せるだろうか。部屋にこもってベッドで兄とダラつきながら、この奇妙な状況をRPGに例えて冗談を交わしたこんな時間を。

 せっかくお弁当を作ってもらったけど、今日は家で食べることにする。申し訳ない。Twitterを見ながらコーヒーを飲む。tofubeatsのRUNを聴く。せっかくなので今日の勉強は憲法の章を進めることにする。崎山蒼志の五月雨、夏至、国、平行する夜を、を聴く。

 勉強に身が入らない。下書きに残っていた小話の続きを書いてみる。歯並びの悪いくたびれた男の話。全然面白くない。今日は一日が長く感じる。