2019.04.30という日

 今朝は7時に目が覚めたけれど、ダルくて活動する気になれなかったので二度寝、9時に起きる(私の中ではマシな方)。

 父と母がいる。お は よ う と言うと、父が渋い顔をする。我が家では10時までは「おはよう」、それ以降は朝とは認めないので「こんにちは」と挨拶するルールがあり、休日は早起きの父と寝坊助な私との間に妙なバトルが起きるのが恒例になっている。父は今度白内障の手術を受ける。髪を洗えないのが嫌だとボヤいている。

 ごはん、味噌汁、切り干し大根、茄子とひき肉のチーズ焼き、ハムエッグを食べる。母の機嫌がいい。昨日祖母の家の片付けの手伝いの帰りに、叔父さん伯母さんとカラオケに行って、褒められたらしい。あいみょんと米津玄師を歌ったそう。私よりも流行の王道を行っている。昔は洋楽ばかり聴いていた母は、近頃は私の影響を受けて邦ロックを聴くようになった。当の私は微妙に違う路線に走っているので、2人の流行には若干のズレがある。

 学校で勉強するか迷う。人間っていいなを口ずさみながら紅茶を入れる。このまま家にいてもしょうがないので、気合いを入れて支度をする。

 音楽を流す。tofubeatsのRIVER、すてきなメゾン、DAOKOのもしも僕らがゲームの主役で、tofubeats×Perfumeのふめつのこころ、ラブリーサマーちゃんの202。平成生まれInternet育ち。

 自転車をこぐ。やっぱり外に出て良かった。雨は上がってねっとりした空気だけど、新緑がピカピカしている。ヒートテックを着込んで、薄いリブセーターとミリタリジャケットとジーンズ。動くと少し暑い。

 何ヶ月も前から終わりゆく元号のカウントダウンお祭り騒ぎが始まり、いい加減聞き飽きてしまった。でも今日が歴史の節目となる日には違いない。別に何かが終わるわけでもない、変わるわけでもないのに、人間の、特定地域の、どこかの文化人が寄り集まって決めた時代のラベルに対して、こんなにも感情が動くのは面白いと思う。人間の集団が生む文化というものは不思議だ。

 自転車で風を切りながら、今日も昨日も変わらない駅までの景色を眺める。もし世界が終わるなら、この景色はどんなに感動的なものになるだろう。ありふれた感慨にふける。現実には時代の名前が変わるだけだ。そこそこに美しく、案外嫌いじゃない並木、草花、ツタヤやドラッグストアの並ぶ道。ゆっくり歩くおばあさん、走る子どもたち。

 駅の乗り換え口でこんにちはーと繰り返しながらティッシュを配っている。普段は避けてしまうけど、今日は受け取ってみた。不動産屋だった。就学前くらいの女の子がネコミミをつけてニコニコと母親の先を歩いている。サブカルチャー・ニッポン。本屋に寄り、参考書を買う。

 大学で勉強。17時前に教室を抜け出して、YouTubeで退位の儀のライブ中継を見る。美しい。遅い昼食を食べながら見ようと思っていたが、あまりの神聖さに手を止めて姿勢を正してしまう。どうか安らかであってほしいと、願わずにはいられない。昼間、改元はただのラベル変えだなんてことを考えたが、とんでもない。私たちには単なるお祭り騒ぎかもしれないが、この放送に映し出される方々にとっては、それはどんなに大きなことか。愚かな一国民たる私は、小さなスマホ画面に映し出される光景に胸を打たれながらも、好きなアニメで描かれる姫君の心情に重ねて二次元に思いを馳せてしまう。不敬である。どんなシリアスな状況や大事な場面でも、心の中心を占める思いとは別に、妙な思いつきや不謹慎な思考が分裂していくので面白い。

 教室に戻って少し勉強して、早めに帰ることにする。乗客が私だけのバスに乗る。180円で貸し切りバスに送ってもらえると思うと贅沢。お礼を言って降りる。薄いスニーカーを履いてきたので、かかとで水たまりを踏んで少し濡れてしまった。はやくうちに帰ろう。今夜はカレーだ。